カブ用に、初めてタイツというものを購入して着用してみました。…すごく、すごくいい感じです。何故毎年冬の度に気づかなかったんだろうという温かさであります。
それからチャーリー・パーカーの5枚組のCDボックスセットを買って毎日聴き倒してます。なんという閃光…。ちょっと彼の音楽に関してはまだ考えがまとまってないので後日書きたいと思います。「お前の考えがまとまった試しがあるのか!」と糾弾されたらちょっとツラいですけど。
カブ用に、初めてタイツというものを購入して着用してみました。…すごく、すごくいい感じです。何故毎年冬の度に気づかなかったんだろうという温かさであります。
それからチャーリー・パーカーの5枚組のCDボックスセットを買って毎日聴き倒してます。なんという閃光…。ちょっと彼の音楽に関してはまだ考えがまとまってないので後日書きたいと思います。「お前の考えがまとまった試しがあるのか!」と糾弾されたらちょっとツラいですけど。
http://www.barks.jp/news/?id=1000012242&m=oversea
うーんこれは観たいですね。是非観たい。このニュースを聞いてからしばらくマイク・マイヤーズ以外でムーニー役が出来る人を思い浮かべようとしてみたんだけど全然思いつかなかった。こういうのを「適役」って言うのかも知れない。まあまだ撮り始めてもいない映画だからなんともいえないんだけど…。
この人もR&B(←余談だけどこの言葉もなんとかならないもんか…範疇が大きすぎて実態無くないですか?)の中ではとても気に入ってるうちの一人です。ロック側から入ってきた人でも充分満足できる、ローファイな質感があります。そして声が凄い魅力的なんだよなあ…原野にあるものをそのままもぎ取ってきたようなざらっとした野趣味な瑞々しさっていうか、そういうのがあります。まあこれほどの素材なんだから壮大なアレンジを廃して、もっとシンプルに作っても良かったのかもしれない…というのは望みすぎでしょうか。でも前述のジル・スコットよりは全然この人のほうが私は気に入っています。特に気に入ってる曲はM3の"Caligula"、M4"I try"(これは名曲だなあ)、M6"I can't wait to meetchu"などか。M8"I've commited murder"のクールな展開も悪くない。
まず69曲ものラブソングをある一定の期間(短期間なのか長期間なのかはもはや問題じゃない気がする)に作ってしまうという精神の強靭さに私なんかはすっかり感服してしまうのですが。
マグネティック・フィールズというニューヨークのバンドが99年に出した、オリジナルアルバムの体裁をとりながら、純粋な(ときにねじれた性格をあからさまに露呈するが)ラブソングを、23曲入りCD×3枚に詰め込んだ超大作であり大問題作である。中心人物はステフェン・メリットって人で…この人の才能はひょっとしたらあのベル・アンド・セバスチャンのスチュアート・マードックを遥かに上回ってしまうのかもしれない。そして神をも恐れぬ物言いをさせてもらえるのなら、この「目の前で今まさに生まれつつある」メロディに対する執着に対しては、あのザ・ビートルズをも引き合いに出さなくてはならないのかもしれない。アレンジはエレ・ポップ風だったりカントリー風だったりえせスペクター風だったりとバラエティ豊かである…しかしメロディなんだ全ては。曲想自体は例えばダニエル・ジョンストンを彷彿とさせる「自家発電」的なものを感じるんだけど、概観するとインディ臭とは無縁のスケールのでかい音楽である。
このステフェン・メリットは後に"i"という全ての曲のタイトルが"I"で始まるアルバムを出すんだけど、このような「リミットを設定し、それに挑む」という姿勢も高く評価出来るだろう。
久々に音楽の話。相変わらず今年は黒人音楽を聴いてるんですが、特にいいなあと思った人はジル・スコット。最近のヒットチャート見てないのでわからないのですが、この人売れてるんでしょうか?ネオ・フィリー系って言われてるらしいけど、そっちの線より率直にこの人はディアンジェロの影響が大きいんだろうという感じがすごくしました。またディアンジェロとかエリカ・バドゥみたいな生楽器(特にヴィンテージであろうと思われるキーボード…フェンダー・ローズか?の音が素晴らしい)を多用した、実にオーガニックなR&Bが展開されます。しかしながらアルバム一枚通して聴いてみると時にR&Bの展開から逸脱していこうとする場面も散見され、またトータルアルバムとして構築する手際も鮮やかであります。実はこういった人たちよりTLCとかデスチャみたいなサイバーな人たちがやってる音楽のほうが無自覚に過激だったりしちゃうのが面白かったりするんですが(映画でいう「キル・ビル」と「マトリックス」の関係と似ている)、このような真面目で過去の遺産をしっかりと勉強している人が、それでも現代という化け物となんとか辻褄を合わせようと奮闘している姿というのもやはり美しいと思うわけです。
ここ数年いわゆる「ロック側」の人たちが物凄い勢いで懐古趣味に振れてゆくのを眺めていると淡い虚脱感がつのることがあります。結局のところロックンロール・リヴァイヴァルなんていうのは若年寄の別の呼び方であったわけで、その中でもいくつかの原石の輝きを認めないわけにはいかないものもあるけれども、大半のものに対しては私は懐疑的にならざるを得ません。おそらくそういうような人たちってみんな私と同じぐらいの年齢で、60年代70年代の音楽に対する羨望があるのもわからないでもないんだけど、それらの単純な取捨選択と並べ替えだけでは…と思う。ダイナミズムなぞ望むべくも無い。だいたい我々20代の人が「なんだか懐かしい感じ」なんて言ってること自体が異常といえば異常なわけで…。その焼畑農法的消費のスパンもだんだんと短くなっていって(最近だとポスト・ニューウェーブなんだろうか)、いつか袋小路に陥ってしまう。そーいう60s70sの音楽の要素を「現代的」な「ヒップホップ感覚」(結構ギリギリの言葉だ)で処理した…みたいなバンドにはほんとうんざりしているのが私の実情であります…って書いてきて思ったんだけどこういうのって実は「渋谷系」が高度に洗練されてワールドワイドに拡散されただけなのかも知れないですね。「渋谷系」はただ単に憧れているという感じがあったけれども最近のそういったバンドたちは「なんちゃらを聴いて育った…」みたいなア・プリオリに与えられたような感覚を備え付けようとしてる(言いかたは悪いけれどそんなもん後付けでいくらでも変えられるだろうからね)、ような気がいたします。直感的、感覚的に選び取ったとはいってもそこには絶対に戦略的なものが介在してるはずだと私は思います。隠蔽しようとしてないだけ「渋谷系」の人たちのほうが純粋であったという見方も出来るかもしれない。出地は色々だからひとくくりにしちゃうのはよくないというのはよくわかってるつもりなんだけどね…。
そう考えてくると「戦略的にあるイメージを抱かせるのは悪なのか」という問題が出てくんだけど(「確信犯的」ってのは誤用ですね)、それと音楽的なダイナミズムの関係は私にとって永遠の謎です…ベル&セバスチャンの初期なんてこれ戦略の塊のようなものだけど最高に美しいもんねえ。
引っ越してからというものジャズと現代のR&Bみたいなのばっかり聴いております。いわゆる白人がやってるロックは全然聴いてないです。すんません…。
ジャズはとにかくこれだ…ビル・エヴァンス「ワルツ・フォー・デビィ」。あまりにも有名で語り尽くされた気もしますが、毎日毎日飽きもせず聴きまくってます。エヴァンス、ラファロ、モチアンのトリオで製作された四枚のアルバムはどれも至上の音楽だと思うし、全部死ぬほど聴きまくってますが「ワルツ・フォー・デビィ」は最初の二曲「マイ・フーリッシュ・ハート」→「ワルツ・フォー・デビィ」があるから本当に特別。特別というより別格。私は特に表題曲「ワルツ・フォー・デビィ」を押したい。最初ピアノとベースがテーマを奏でた後モチアンの端正なドラムが入ってきておっそろしく流麗なグルーヴがシバき倒されることになるんだけど(みんな好き勝手なことしているようにみえるのに恐ろしくまとまりがある)、そこにいく直前一瞬だけピアノとベースがちょっとした混沌をちろりと垣間見せる。その部分の美しさは頭の芯が揺らぐほどの美しさだと思います。
このアルバムを聴いてると音楽の塊がどんどん腹とか胸の中に入りこんできちゃって、でどんどん膨張して最終的には私を粉々に破散させてしまう。私に出来ることといったら涙を流しながら散り散りになった肉片を拾い集めることぐらいだった。
Sneetchesってバンドがコリンの"Caroline Goodbye"をカバーしてるそうです。廃盤ですがこちらで試聴できます。こんなタイトルのBLOGをやっておきながら全然知りませんでした。
しかしこの曲は名曲ですよねー。「一年間」の中でも一番好きです。
何気なくTVを見てたら明治アーモンドチョコレートのCMが流れてたんですが、結構気に入りました。「バイク編」てやつです。なんとなくニヤニヤしちゃいますねえ。山下達郎の「風の回廊」が使われてます。
ちなみに私の一番好きな達郎さんの曲は「土曜日の恋人」か「愛を描いて」かなあ。名曲ありすぎるんでそのときの気分によって違いますね。「クリスマス・イブ」じゃないことだけは確かです。
引っ越してから数日間よく聴いていたCD。最近良さがわかるようになってきました。一度よさに気づくとどっぷりはまってしまいます。一語一語が重苦しい空気の中に沈んでいく感じのエイダンの声と60sガレージバンドの演奏を如実に感じる演奏で簡単にトリップできます。
このアルバムは中村一義がヴォーカル、さらに作詞・作曲のほとんどを手がけているということなんですが…結論から言いますと、個人的にはほとんど訴えかけてくるものがありませんでした。途中で聴くのやめちゃおうかと思っちゃったぐらいです。後述しますが、私は中村一義のファーストアルバム「金字塔」は死ぬほど聴きまくったし、カタルシスも獲たし、猛烈に考えまくる時間を割いたりしたんですが(←ま暇だからね)正直言ってその後は一作ごとに興味を失っていってしまったという感じがします。"ERA"も駄目でした。でこの別名義のアルバムでほぼ完全に興味失ってしまった…ということになりそうです。ほんと期待してたので残念です。
私が中村氏を評価してたのは、まあその当時(「金字塔」発売当時)は気づかなかったんですが、ストレンジでマッドで捻れたポップ感覚という一点に尽きると今では思ってます。というのもこれは彼の出発点が「全部一人でおこなわれなければならない」というものだったからだと思うんですよね。これって彼にとっては(賛否両論あるでしょうが)すごい不幸なことだったのではないか、と私は思っています。選んでそういうスタイルに辿りついたわけじゃなさそうですし。彼のインタビューなど私は結構読んで、その複雑な家庭背景なんかもちょっとは知ってますが、それを抜きにしても彼は不幸な出地だと思います。なぜかっていうと彼は一人で全てこなすことが出来て、しかもそれが最大限の効果を生んでしまったからだと思うんですよね。トッド・ラングレンばりにドラムはよれるんですが、それが最高の魅力になってしまった。各種エフェクトはチープなもんだし、8トラのMTRはやっぱしょぼいわけですが、それを全て「魅力」に転ずる才能が彼にはあった(ある?)。「天才」とはあまりに安易な呼び名ですが、そう呼びたくなる気持ちも確かによくわかります。
そして彼の周りの様々な「記号」を彼は自らの言語体系に落とし込むことに成功しました。「状況が裂いた部屋」「土手」「下町」「ビートルズ」…などなど。まあその手腕ははっきりいって椎名林檎とあまり変わらないような気もするんですが、その奇妙な言語体系はぴったりと彼のストレンジ・ポップと呼応するものだったと思います。
そのような要素が今ではすっかり抜けてしまったから…だと話は早いんですが、まだ私はこれから先彼がどうなるか断言するのは忍びないし、はっきりいってよくわかりません。めげそうですがもうちょっと彼のことを追ってみたいです。
新譜"OZ"の元ネタを探る動きも一部であるみたいですが、今の時代そんなことしてみたってしゃーないですよね。元ネタを探してる人って楽しそうなんですけどなんでですかね(笑
しかも明らかに的外れだったりすると目もあてられないです。
このアルバムの最初の曲「月夜を往け」を聴いたとき、私は自分の生前から活動している一人の音楽家が、今現在これほどまでに前向きな歌詞をもった音楽を歌っていることに対し敬意をはらいたいと思ったし、非常に喜びました。こういうのを「喜び」と呼べるかどうかわからないけど…。
佐野さんの代表作しか私は聴いたことないから、彼がどのような音楽の変遷を経たのか、ということについては細かくはわからないけど、どんな道順を辿ったにせよ今こういう曲を歌える地点に一人の音楽家が立っているということは羨望せんばかりに美しいことであり、まためったにないことであろう、と私は思います。
色んな人の、色んな思惑を詰め込むことが出来る、キャパのでかいポップ・ソングというのは確かに存在しているんだなと再認識いたしました。
えー今日はただの独り言です。
よく考えてみたら私の好きな音楽の範囲って高校時代からあんまり変わってない気がします。高1、2のときよく聴いてたイギリスのパンクとかはさすがに今はあまり聴きませんが、ビーチ・ボーイズもザ・バンドもスライも高校時代からよく聴いてて、それぞれに対する興味を平行して深めてきたという感じなんですよね。別にバランスをとろうなんて意識したことはさらさら無いと思うんだけど、自然にそうなってしまう。もともと平衡を求める性向のようなものがあるのかもしれない。
だから「この時期はこれをめっちゃ聴いてたなあ…」という感慨は、私にはあんまりありません。確かに大学に入ってからブラジルものとかジャマイカものも聴くようになったんですけど、そして去年ぐらいからクラシックも聴くようになったんですが、それもまあ予想できる範囲というか、「まあそこにいくのは当然だよね…」という範囲で手を出してきたような気がします。だから今聴いてるものを高校時代の友達に言ったとしても、あまり驚かれることはないだろうという気がします。発展が無いと笑われるかもしれません。でもそのような音楽の聴きかたは私という存在を、一つの縮図として如実に現してる、気もします。
ヤヴァイ…オチがない…。(続く…かもしれない)
いかにもシックスティ〜ズなジャケのお姉さんがたが織りなす、60年代名曲歌唱大会。素人臭いコーラスもまた一興。バカラック「ディス・ガール・イン・ラブ・ウィズ・ユー」「ウォーク・オン・バイ」、レノン&マッカートニー「ヒア・ゼア・アンド・エブリウェア」「グッド・デイ・サンシャイン」、ブライアン・ウィルソン「神のみぞ知る」、ロジャニコ「ラブ・ソー・ファイン」などなどやっとります!
「神のみぞ知る」は私大好きなんですが、キャプテン&テニール版よりもこっちのほうが好きかなーと思いました。まあオリジナルが最高ってことに意義はないですが。
デスチャの「ルーズ・マイ・ブレス」って曲が頭から離れません…というわけでこれ聴いてます。デスチャの「サヴァイヴァー」。彼らはだいたい私と同い年なんだよね。ビヨンセからは確かに非凡な才を感じてしまいます。これほどまで切迫感ある作品(特にアルバム前半)はロック界を見回してみると、例えばレディオヘッド「KID A」あたりを引き合いに出すしかないというか。終末観というか黙示録的というか…。そういうのがひしひしと感じられます。なぜこれほどの性急さと切迫感が表出する必要があるんだろうか?それからティンバランドを経た感性もしっかりと受け継いでいるリズムの実験がとにかく凄まじい。単純なメロを際立たせるように必要最小限のところでシャープに鳴っています。願わくばこの切迫感がアルバム終盤まで続いて欲しかったんですが、最後はわりと穏健にまとまってしまったのが良くないところかなと思います。
「サヴァイヴァー」ってタイトルのわりにはふてぶてしいジャケットからもわかるとおりの攻撃的な作品であることは確かなようです。
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