このアルバムは中村一義がヴォーカル、さらに作詞・作曲のほとんどを手がけているということなんですが…結論から言いますと、個人的にはほとんど訴えかけてくるものがありませんでした。途中で聴くのやめちゃおうかと思っちゃったぐらいです。後述しますが、私は中村一義のファーストアルバム「金字塔」は死ぬほど聴きまくったし、カタルシスも獲たし、猛烈に考えまくる時間を割いたりしたんですが(←ま暇だからね)正直言ってその後は一作ごとに興味を失っていってしまったという感じがします。"ERA"も駄目でした。でこの別名義のアルバムでほぼ完全に興味失ってしまった…ということになりそうです。ほんと期待してたので残念です。
私が中村氏を評価してたのは、まあその当時(「金字塔」発売当時)は気づかなかったんですが、ストレンジでマッドで捻れたポップ感覚という一点に尽きると今では思ってます。というのもこれは彼の出発点が「全部一人でおこなわれなければならない」というものだったからだと思うんですよね。これって彼にとっては(賛否両論あるでしょうが)すごい不幸なことだったのではないか、と私は思っています。選んでそういうスタイルに辿りついたわけじゃなさそうですし。彼のインタビューなど私は結構読んで、その複雑な家庭背景なんかもちょっとは知ってますが、それを抜きにしても彼は不幸な出地だと思います。なぜかっていうと彼は一人で全てこなすことが出来て、しかもそれが最大限の効果を生んでしまったからだと思うんですよね。トッド・ラングレンばりにドラムはよれるんですが、それが最高の魅力になってしまった。各種エフェクトはチープなもんだし、8トラのMTRはやっぱしょぼいわけですが、それを全て「魅力」に転ずる才能が彼にはあった(ある?)。「天才」とはあまりに安易な呼び名ですが、そう呼びたくなる気持ちも確かによくわかります。
そして彼の周りの様々な「記号」を彼は自らの言語体系に落とし込むことに成功しました。「状況が裂いた部屋」「土手」「下町」「ビートルズ」…などなど。まあその手腕ははっきりいって椎名林檎とあまり変わらないような気もするんですが、その奇妙な言語体系はぴったりと彼のストレンジ・ポップと呼応するものだったと思います。
そのような要素が今ではすっかり抜けてしまったから…だと話は早いんですが、まだ私はこれから先彼がどうなるか断言するのは忍びないし、はっきりいってよくわかりません。めげそうですがもうちょっと彼のことを追ってみたいです。
新譜"OZ"の元ネタを探る動きも一部であるみたいですが、今の時代そんなことしてみたってしゃーないですよね。元ネタを探してる人って楽しそうなんですけどなんでですかね(笑
しかも明らかに的外れだったりすると目もあてられないです。
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