更新が鈍ってる割にはアクセス数だけが絶えず右肩上がりな当Blogですが、一体どうしたんでしょう?アンダーワールドの新譜については特に書くこともありません。
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60年代にホンダはナイセスト・ピープル・キャンペーン(「素晴らしい人、ホンダに乗る」)と銘打って、北米で大掛かりに展開したんだけど、まあそれはギャグだったのでしょうが(ですよね?)、こういうことがあるとにわかにこのフレーズは皮肉めいた色彩を帯びてくるなあ…と私は今年度のカフェカブの車両規制問題をちらちら横目で見つつ、ぼんやりと考えておりました。いくら平和の象徴(←鳩か!)のような存在であるカブだって、それに乗っている人がみな善人であるとは限らず(さらに言えば私は善人である、とためらい無く言い切れる人が世の中にどれぐらい含まれているんだろうか?)私のような悪人だって涼しい顔をして毎日ちゃっかり跨っているわけです。私たちは、そのような世界が先天的に孕んでいる危険や不条理を、丸ごと自らのうちに取りこんでみせようとするスーパーカブという原付二輪車の無謀さと覚悟とタフさにこそ勇気づけられたり、励まされてきたのではなかったのでしょうか?そのようなカブの持つ(図らずも、持つことになってしまった)コンセプトと、理由はどうあれ気に入らないカスタムを締め出そうという考えは真っ向から衝突してしまうはずです。本来なら。
まあだから、カブに関しては他人に迷惑をかけない限り(地球環境に配慮している、という意味においても)なんでもやらかしていいんじゃないか、というのが私の意見であり、そのように考えているカブユーザーは意外と多いのではないかと邪推しております。無論好みというのは誰にでもあるわけですから、雑誌を見てても「こりゃないよな~」とか「あ、このカブいい!」とかあるわけですけど。カフェカブの正しい参加規約はただ一行「誇りを持ってカブに乗っている人」これが私の理想であります。
しかしながら私はなんかもうカフェカブとか行かなくてもいいかな、と思ってしまったのもまた事実であります。理由がどうあれ上のほうにそういうことを考えている人が存在しているというだけでテンション下がりまくりです。例によって「ああ、私が消え去るのであとはどうぞお楽しみください」という気分になってきます。しかしこれってある意味逆ギレの一種だからほんとよくないよなあ…。
[追記] 書いててふと思ったんだけど、つまりナイセスト・ピープルキャンペーンというのは「一度カブに乗ってしまうと、結果として皆善人になってしまう」という意味だったんだろうか?いやいや…。
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