あのPerfumeを上回る(←というか、飽きてきた)才能…いや00年代を通して初めて、本格的な日本発の巨大な(グループとしての)才能に触れたんじゃないかと思うほどの衝撃を受けました。自分より年下の日本のバンドで初めて心から「かっこいい!」と思いました。相対性理論。
「LOVEずっきゅん」も確かに凄いと思ったんだけど、「シフォン主義」ってミニアルバムの「スマトラ警備隊」「夏の黄金比」を聴いてこれはヤバいなと思いました。当然のようにAメロ→Bメロ→サビなんていう定型には陥ってないし、かといって我々を突き放したままにしない、愛さずにはいられない音です。スミスのジョニー・マーが引き合いに出されているようですが、久々にクリーントーンで聴かせるギターを聴きました。リズム隊もじっくり聴き込むと手の込んだことをしており、音響的なこだわりも相当のもののようです。意識的なスカスカの音像とやくしまるゆうこの声が、文字通り耳に突き刺さる。
そして最大の特徴は勿論その歌詞にあると思うんですが…例えば「サザン」とか「中村一義」みたいな大発明という感じはなく、歌詞の乗せ方というのはそれほど意識的ではないし特徴も無いと思うんです。彼らが重点を置いているのはむしろ歌詞そのもので、韻が踏みまくられているのと同時に、散りばめられた固有名詞がどう響くのかということを非常に大切にしている感じがします。選ばれている固有名詞も同時代的なものを(おそらく意識的に)選択しているのが明らかで、そこに私は大変好感を持ちました。
私は常々思っていたんですけど「これから先ずっと聴いてもらえるポップ・ミュージックを作りたい」とかいう名目で作られた音楽って、あんまり面白くないですね。というかそれはおこがましいと思うんです。それはポップ・ミュージックの役目ではないし、同時代の人々にうたかたの夢を見せたりとか胸を打ち抜いたりするというポップスの義務すら放棄している。結局誰の胸も打ち抜けないと思います。例えば全盛期の「ビートルズ」とか「ビーチ・ボーイズ」だって、そんな大それたこと考えていなかったのではないか?彼らは自分たちの中から自然に沸いてくる曲想を曲にして、皆の前で演奏したりレコードに吹きこんだりするだけで楽しくてしょうがなかったのでしょう。皆の耳にどう響いているかということすら考えていなかったかもしれません。それが結果的に50年の聴取に耐えうる音楽になった、という。
相対性理論は一周回って、自覚的にそのへんをコントロールしようという気概が見え隠れしています。過去も未来も考えず、現在の人々の耳にはどう響くのか?だけを考えている、気がします。それはほんとに頼もしい姿勢だし、圧倒的に正しいと私は思います。
「ハイファイ新書」は彼らのファースト・フル・アルバムにあたります。「LOVEずっきゅん」「スマトラ警備隊」なんかはただの見せ物に過ぎなかったのではないか?と思えるほどのびのびと自由に手の内を見せつけてくれます。細野晴臣の影もちらちらと見え隠れ。これからがほんとに楽しみ。
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