元々邦楽ってほとんど聴かないんですけど(薦められたら聴く程度)、新譜が出るのを楽しみに待っている邦楽アーティストって、もうこの人ぐらいしかいなくなってしまったような気がします(強いて挙げればPerfumeとサンボマスターぐらい)。中村一義は完全に興味失ったし、元フリッパーズのお二人はもう隠居みたいなもんだから大瀧詠一の活動と大差無い気がするし、冨田ラボは確かに楽しみだけど企画モノって感じが無きにしもあらず、ですからね。小島麻由美さんはずううっと淡々と活動し続けてて、私の中ではいくつになられても凄く「現役」の人、って感じがします。ルックスも昔とそんな変わらないですしね。それに彼女の最近の作品は一作ごとに良くなってきてる気がします。前作「パブロの恋人」も良かった。
彼女の歌を聴いてると、今でも数秒間に一度ほんとに素人の女子大生が歌ってるんじゃないか?って錯覚する瞬間があって(下手だ、ということではない…妙にリアリティがあるのである)、そこが私はとても好きなんです。女性アーティストではそういう、いわゆる「聖と俗を自在に行き来する」人に私は惹かれてしまうところがあります。歌唱は非常にテクニカルなんですけれども、不思議ですね。いや、テクニックの一つとしての素人臭さなんだろうか?それにしても巨大な才能だなあ、といつも思います。天才、だと思います。ほんとに。
最近思うんですけど、音楽において「懐かしさ」って凄く重要な要素じゃないでしょうか?それは「ノスタルジックな」というのとも違って、初めて聴く曲なのに何故かその曲を聴くより昔のことをふと思い出したり、とか。彼女の幾つかの曲には凄くそういった記憶を呼び覚ます力があるし、例えば私はビル・エヴァンズの「マイ・フーリッシュ・ハート」初めて聴いたときもそんな感じを受けました。そういう音楽って後々まで凄く心に残る気がします。
ところで今作では初めてタイトルに堂々と「スウィング」という言葉が冠されました。タイトルどおり今作において、彼女は今まで積み重ねてきた、声を、ひいては音楽をひたすら「スウィングさせる」様々な実験を咀嚼、血肉化し、全10曲へと結実させました。キース・リチャーズがその昔「ジャズからロックへ、4ビートから8ビートへと移行したときにスウィングは消滅した」的なことを言っていたそうですが、もし仮に彼の言っていることが本当であれば、彼女の試みはひたすらに60年代以前へと遡行していく試みであったとも言えるかもしれない。以前書いた塚本さんもそうだけど、そういうこだわりにはやっぱり頭が下がるし、かっこいいし、感動的です。今現役のアーティストで、彼女たちのようなスウィングへの情熱を持ってる人が果たしているのだろうか?いや、そんなものがあるということにも気づいていないのだろう。
私はこのアルバムの「サマータイム」って曲を20回ぐらい連続して聴いて、涙出そうになってしまいました。こんなこと珍しいです。
[追記] 「トルココーヒー」も圧巻。
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