まあ何回か話題に出してるこちらの盤なんですがね、これ恥ずかしげもなく言うと勇気のアルバムですよ。聴いてると無尽蔵の勇気が出てくるんですよ。その勇気を我々がどう扱えばいいのかっていうのはまた別の問題なんですが…。
ものの本によると時は1954年2月、アート・ブレイキーはチャーリー・パーカーに紹介されたぼろぼろの身なりをしたクリフォード・ブラウンと出会い、このクィンテット最後の1ピースが埋まった…そうです。ピーウィー・マーケットの「ジャズ語」(ほとんどシュプレヒコールのようです)に導かれ、五人のロマンチストによる壮絶な演奏が始まるわけですが…彼らの演奏には後ろ向きなところは全く見られず、とにかく目の前の「闇」や「地獄」や「出口の見えない明日、さらにその先の日々」を切り裂くことに体中の力をしなやかに、弾むように使っていて…まあなんだ本当に感動的です。何か希望があったのか?それともルーティーンだったのか?わからないですけど、とにかくここまで前向きなジャズはあまり無いと思います。彼ら全員の見つめている焦点が非常に遠くにあるにも関わらずブレてない感じがするんです。その前向きさが現代においてどう有効なのかよくわかりませんけど…ひょっとしたら全然有効じゃないかもしれません。でもそんなことどうだっていい!と、少なくとも聴いている間は思ってしまいます。
ブラウニーのトランペットは音色だけでも充足感に満ちており、楽器全体を鳴らしながら、触ったそばから血が吹き出そうなほどに切れ味鋭い演奏を繰り広げるし、ルー・ドナルドソンはブラウニーと拮抗するほど熱く吹きまくるし、ホレス・シルヴァーのピアノは粘っこく、かつ歯切れよくソウルフルに歌い上げるし、ブレイキーはフロントに更なる熱情を叩き込もうと強力に轟かせます。私はこの盤初めて聴いたとき思ったんですけど、ジャズって全然大人のための音楽じゃないですよね。少なくともやってる人たちはただの糞ガキです。それを「大人」が論じたり消化しようとするからややこしい問題が出てくるのでは…。上手く大人になるって本当に難しいことなんだな…。
私はブラウン・ローチ・クインテットとかホレス・シルヴァーの諸作とかジャズ・メッセンジャーズを聴いてからこの盤を聴いたんですけど「なんだ、私何も聴いてなかったようなもんじゃん」って思いました。こっち先に聴くのが断然お勧めです。
[追記]このアルバムにはディジー・ガレスピー作の「チュニジアの夜」が収録されておりますが、実は私はこの曲あまり好きではありません。でもこのアルバムだとなんとなく聴いちゃうぐらいだからやっぱり波長が合ってるんでしょうね。
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