この夏休みは旅行に明け暮れていました。最初に三泊四日で筑波山に行って(これはただの会社のイベント)、次の日から一泊二日で和歌山へ。さらに帰ってきて次の日から6日間NYCへ…。正直これほど旅行に明け暮れた夏もありませんでした。じゃあもうお腹いっぱいかというと、そんなこともないんですよね(笑)旅行って行けば行くほど行きたいところ増えていくような気がします。
今年の5月に母方の祖母が亡くなり(99歳でした)、その四十九日のときだったかな?父親に「お母さんと骨の一部をおばあちゃんの田舎の和歌山の海に散骨しに行こうと思ってるんだけど、お前どうする?」と言われました。私は茨城の祖父の田舎には何回か行ったことがあったのですが、祖母の田舎は一度も行ったことが無く、以前から一度行ってみたいと思っていたので、なんとか無理矢理旅行の間にねじ込んでもらい、8月中旬に向かうことになりました。
仕事のイベントの翌日。早朝4時頃におもむろに起きだし、川口から東京駅に向かい、サンドイッチを買って6時台の名古屋行きの新幹線に乗ります。久々の新幹線でテンション上がります。しかしあっという間に名古屋に着いて、そこからは特急に乗り込みます。この特急が延々と続きます。あとで調べてみると新大阪まで新幹線で行ってから戻ってくることもできたんですが、まあ今回は私はお金を全く払っていないので文句は言えません。ずっと眠っていたんですが、ふと目覚めると茶畑があって、また眠って…というのを繰り返しておりました。
特急で和歌山の那智勝浦という駅で二両編成の可愛い電車に乗り換えます。和歌山の海が広がります。太平洋の荒々しい海です。
ほどなくして串本という駅に着きました。「串本節」の、あの串本です。印象としては三浦半島の駅とそんな変わらないのではないか、という感じだったのですが、とにかくここが祖母が生前話していた町です。いたるところに「本州最南端の駅」と書いてあります。なるほどね。
駅近くのトヨタレンタカーでヴィッツを借りて、そのとき店の人がかなりヒマそうだったので、串本でおすすめの店を聞いてみました。すると地図に色々印をつけてくれました。そのなかの一つの定食屋「くしもと」(まんまだな)に行ってみることに。
串本の町役場の裏に目指す「くしもと」はありました。表は魚屋さんになっていて、裏でそこの魚を使って定食屋をやっているようです。店の中は定食屋というより(失礼ですが)場末のスナックのような感じです。
入ると「南アルプスの天然水」のペットボトルに入った麦茶が出てきました(笑)。友達の家に来たみたいな感じです。我々は迷わずトビッコ(トビウオ)丼を選択。
まず(ちょっと冷めた)トビッコのフライが出てきました。丼ものなのに最初にフライが出てくるのがすごいですが、オタフクソースをザブザブかけて食べるとなかなか美味しい。肝心のトビッコ丼は、やっぱりイワシに似た味なのですが、もうちょっと脂っこい感じでこれも美味しい。
トビッコ丼を堪能した我々は、いよいよ祖母の実家に行くことにしました。ここに着いて初めて知って驚いたのですが、祖母の生家は潮岬のすぐ近くにあったのだそうです。潮岬といえば本州最南端であり、すごいところから出てきたんですね。
まず我々は潮岬に向かいました。灯台に立つとさすがに荒々しい海で、確かに黒潮が目に入ります。
潮岬の周辺で祖母の生家を探してみたんですが、住所もわからない上来たことがあるのは私の母だけ、という有様だったので見つけることは残念ながらできませんでした。ここまで来たからには是非見てみたかったのですが…。ただ、祖母が大変なところから出てきたんだということはよくわかりました。
潮岬から大島へは、現在は橋で繋がっています。以前は連絡船で繋がっていたということですが。この連絡船のことを祖母はよく話していたそうなので、我々はこの橋の上で祖母の遺骨を海に放つことにしました。母が落とした遺骨は風に揺られながらゆっくりと落ちていき、着水すると二、三度波に揺られてからゆっくりと沈んでいきました。潮の流れが速そうだったので、運が良ければそのまま太平洋まで辿り着けるかもしれません。いずれにせよ、これでこの旅行に来た最も大きな目的は果たせました。
大島は正直陸上自衛隊の駐屯地がある意外は何も無いという印象でしたが、「海金剛」という場所はなかなか絶景でした。
その後我々は和歌山名物「南高梅」の梅干し(私は梅干しが大好きなのです)を買いに、紀伊半島山間部を目指しました。
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