白人がやるジャズ、というテーマについて最近考えこんでしまうことが多いです。ユダヤ人を含めた白人が行ったジャズ的表現の中には、ほぼ間違いなくある種の屈折が見られるし(スタン・ゲッツにおいてはかなり希薄だと思いますが)、白人ジャズメンの中で芸術的な達成をみた人は、ほぼ間違いなく不幸そうであります。たとえポーカーフェイスであろうとも、滲み出る悲哀が確かにある。
ミシェル・ルグランは「シェルブールの雨傘」「ロシュフォールの恋人」のサントラを聞いて「なんたる才人…」と息を呑んだんですが、この「ルグラン・ジャズ」ではさらに濃密に展開されるルグランの世界が堪能できます。マイルズ・デイヴィス、ベン・ウェブスター、コルトレーン、ビル・エヴァンス、ハンク・ジョーンズ、ドナルド・バード、アート・ファーマー、ハービー・マン、ポール・チェンバース、フィル・ウッズ…という眩暈を起こしそうな面子を使いながらもあざとくならず、さらりと上品に聴かせ、かつ音楽の芯のようなものは全く損なわれないように手際よく換骨奪胎と再構築がなされている。これはやはり、月並みな表現ですが、偉大なるジャズに対する真摯な敬意の現れであろうと私は思います。「リミックス」「サンプリング」といった言葉がまだ存在しなかった時代の、黒人音楽と白人音楽の幸福な邂逅の記憶。
[追記] 最近「痩せました?」とよく言われます。
最近のコメント