ここ数年いわゆる「ロック側」の人たちが物凄い勢いで懐古趣味に振れてゆくのを眺めていると淡い虚脱感がつのることがあります。結局のところロックンロール・リヴァイヴァルなんていうのは若年寄の別の呼び方であったわけで、その中でもいくつかの原石の輝きを認めないわけにはいかないものもあるけれども、大半のものに対しては私は懐疑的にならざるを得ません。おそらくそういうような人たちってみんな私と同じぐらいの年齢で、60年代70年代の音楽に対する羨望があるのもわからないでもないんだけど、それらの単純な取捨選択と並べ替えだけでは…と思う。ダイナミズムなぞ望むべくも無い。だいたい我々20代の人が「なんだか懐かしい感じ」なんて言ってること自体が異常といえば異常なわけで…。その焼畑農法的消費のスパンもだんだんと短くなっていって(最近だとポスト・ニューウェーブなんだろうか)、いつか袋小路に陥ってしまう。そーいう60s70sの音楽の要素を「現代的」な「ヒップホップ感覚」(結構ギリギリの言葉だ)で処理した…みたいなバンドにはほんとうんざりしているのが私の実情であります…って書いてきて思ったんだけどこういうのって実は「渋谷系」が高度に洗練されてワールドワイドに拡散されただけなのかも知れないですね。「渋谷系」はただ単に憧れているという感じがあったけれども最近のそういったバンドたちは「なんちゃらを聴いて育った…」みたいなア・プリオリに与えられたような感覚を備え付けようとしてる(言いかたは悪いけれどそんなもん後付けでいくらでも変えられるだろうからね)、ような気がいたします。直感的、感覚的に選び取ったとはいってもそこには絶対に戦略的なものが介在してるはずだと私は思います。隠蔽しようとしてないだけ「渋谷系」の人たちのほうが純粋であったという見方も出来るかもしれない。出地は色々だからひとくくりにしちゃうのはよくないというのはよくわかってるつもりなんだけどね…。
そう考えてくると「戦略的にあるイメージを抱かせるのは悪なのか」という問題が出てくんだけど(「確信犯的」ってのは誤用ですね)、それと音楽的なダイナミズムの関係は私にとって永遠の謎です…ベル&セバスチャンの初期なんてこれ戦略の塊のようなものだけど最高に美しいもんねえ。
追記。今ふと思ったんだけど「ひねくれポップ」って言いかたも私はあんまり好きじゃないですね。「ソフトロック」のほうがまだ許せる。だいたい結果としてひねくれてしまったならそれは「ひねくれポップ」と呼べるのかもしれないけど、ひねくれようとしてひねくれたんならそれはもはやひねくれてもいないと思うんだけど…。
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